「ルール」を守る !!

 事務処理の手順、営業に関する規則や注意事項、決裁段階のチェック事項、作業標準、非定常作業手順書、安全作業手順書等など。組織で何らかの活動を行う際には、いろいろな規則、手順、ルールが定められています。成文化されたものもあれば、共通の約束事として定着しているものもあるでしょう。そして、これらのルールがあるから、それから外れた行動、外れた作業などを行った人は注意などを受けることになります。
 この注意等には、運用上、意を払わなければならないポイントがあるといわれます。すなわち、外れたことを見逃さないこと、外れたときには時宜を失わず指摘することだと教わります。見逃しを続けると、ルールの存在を否定することにつながる恐れがありますし、部下があなたを「ルールを守ることを求めない人」と思いこむ可能性もあります。ただ一度の見逃しでも、そのときの当事者にとって、決してよい効果が生まれることはないと思います。特に部下のいる立場の管理者等は「ルールは常にその存在と内容を意識し、自ら守り、運用に妥協してはならないもの」と心得るべきです。
 ところで、作られた「ルール」は簡単に守られるものと思ってはなりません。私は、一般的に「ルールは守られないもの」との認識からスタートして、守られるための方策等を重ねていかなければならないものだと考えています。
なぜ、ルールは守られないのか、それは「負担」を求めるものだからです。
 あらためてルールを読み返してみてください。事務処理の手順も、営業に関する規則も、決裁時の確認も、作業手順書もどれも、手間を規定しており、各段階で手間をかけなさいと書いてありますよね、
 ルールが「負担」と感じるのは、ルールが手間を求めており、作業の回り道をさせようとしているからです。人は「回り道」をしたくないものです。これを人間特性と呼ぶのだそうですが、近道をしたい、手数を省きたい、そして、少しでも楽をしたいものなのです。負担にならない、手間を求めない行為は「ルール」として定めるまでもない。直ちにまねることができます。直ちに皆がその方法を採用します。
ルール  「ルール」は「手間」をかけても「守らなければならないこと」、「達成しなければならないこと」があるから作られるのだと思います。ですから「ルール」は普通の場合、作っただけでは守られないもの、守られにくいものと考えておかなければなりません。「ルール」を作って「守れ」というだけで守られると期待するのは甘いと思います。そして、守られなかったときに「何故、守らないのだ!!」と叱っても、なお、守られにくいものかもしれません。ルールだからというだけでは、叱られた側としても納得がいかない場合もあります。
 なぜなら、ルールが定められた理由、目的が理解されていないからです。「ルール違反というけれどそれで何の不都合があるのか、そんな面倒なことを決めなくてもいいのではないか、理不尽だよな。」という具合です。何故その「ルール」が定められたのか、その「ルール」が目的としているものは何なのか、その目的が達成されることにどのような利益があるのか、などが具体的に理解されていること、すなわち、その手間をかける価値が本当にあること、これらのことが納得を経て、腑に落ちたら……そして、皆がそのルールを守っていたら、その人もルールを守るのです。ルール違反にペナルティを科すことを否定するわけではありませんが、ペナルティだけでルールが本当に守られるというのは難しいことだと思っています。
 そしてもう一つ。ルールである以上、全員が従わなければならないということ。「ルール」には、人それぞれ評価があります。必要ないルールだ、別のやり方が正しい、そのルールは間違っている、等など。個人の否定的な評価や価値観でルールに従わないことを許していたら、その運用が「ルール」の機能を否定してしまうと考えます。内容が「不適切」であれば、組織の皆で知恵を出し合って、議論して、皆で納得して、新しい「ルール」を作り、それを皆が合意、納得したうえで運用しましょう。でも、「新しいルール」ができるまでは、個人の判断を控えて、そこにあるルールに従いましょう。
横断歩道  突然ですが、横断歩道の交通信号をあなたは常に守りますか ?
 例えば、極端な場合を想定してみます。住宅街の昼間、あまり自動車が通らない、しかし交通信号が設置された片側1車線の交差点。今は昼過ぎ。付近は遠方まで見通しがよく、今、左右のどちらを見ても車の影は見当たらない。横断歩道の信号は「赤」。さあ、あなたはどうしますか。「青」に変わるまで待ちますか。それとも、車は確実に来ません、2・3秒のことです。「えい !!」と「赤」を無視して渡ってしまいますか。
 交通信号には交通事故を防止するために誰もが守らなければならない共通のルールがあります。信号の「赤」と「黄」は「止まれ」です。誰もが同じルールに従って交通事故を防ぐのです。でも、ずっと遠方まで見渡しても車は見えないし、目の前の「赤」信号を無視して横断しても交通事故が発生するはずはありません。ならば、この状況ではルールに従わなくてもその目的を阻害することはありません。であれば「赤」信号で横断してもよい、つまり場合によっては「信号無視」も許されると考えますか?
 事故の危険性がなければ(ないと思えば)「信号無視」をしてもよいとすると例えばこんな判断。車の影は認めたけれど目測500m離れているから今なら大丈夫。私は足が速いし100mも離れていれば事故になることは絶対ありえない。俺は足腰が弱ってきたけど、でも200mも離れていれば如何に私でも大丈夫。等など、いろんな人が自分の安全判断で交通ルールを運用しだしたら、それってルールじゃないですよね。
 「赤」は無条件に「止まれ」です。それが「ルール」です。現実に、交通信号を守らない誰かによって、「ルール」を守らない誰かによって、「まさか……とは思わなかった」と、交通死亡事故が毎日のように発生しています。

2020/12/25  (  文責 : 丸山ひろき )