疑問やおかしいと思ったことには声を上げる義務がある
見出しの一文は、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から8年となった平成31年3月11日に、原子力規制委員会の更田委員長が原子力規制庁の職員に向けて行った訓示(※1)で語られたものです。
彼は、この訓示の福島第1原発事故以前の状態に関する反省の部分で「自分の持ち場、自分の責任範囲に関しては、理解に向けた出来る限りの努力をすることはもちろんですが、疑問を持ったら、おかしいと思ったら、あるいは、理解できないと思ったら、声を挙げる義務があるのです。仲間の誰もがこういう指摘はしていないからとか、上司が異なる意見だからとかで声を挙げないというのは、年齢や経験などに拘わらず、あらゆるレベルにおいて責任放棄に等しいと考えていただきたいと思います。」と述べています。
さらに「安全の追求は“現状維持欲求”との戦い」、「たとえ大きなメリットをもたらすことであっても、変化に伴うデメリットの方をより強く意識してしまい、これを避けようとする傾向がある」、「人は自ずと仲間を信頼したいという指向性を持ちます…信頼…落とし穴が潜んでいる」、「組織やシステム、あるいは権威というものを信頼し過ぎてはいなかったか。信頼を通り越して依存していたのではないか」、「原子力規制委員会は、誰もが声を挙げることができる職場というよりも、必要なときは誰もが声を挙げねばならない職場をつくろうとしている」などの言葉を連ねています。
また、事故後の各種の対応を行っている方々に対して「今はたくさん対策をとったので、今度もし事故が起きたときはそうはならないと考えるのは幻想に過ぎません。」とも述べています。
私は、これらの言葉は労働災害防止に取り組む方々の心の持ち方に大いに参考になるものだと思っています。原子力という我々のコントロールが困難な巨大なエネルギー(ハザード)に対する基本姿勢も、つまるところは日々の労働災害防止活動の基本姿勢となんら変わらないのです。
なお、先に書いた「安全の追求は“現状維持欲求”との戦い」については、平成30年の同氏の訓示(※2)に触れられていて、「”現状維持欲求”は、私たちの日々の業務にも影を落としかねないものです。”現状維持欲求”は日常の業務や思考を定型化、パターン化させようとする姿勢に繋がります。安全の追求には、想定外との戦いという側面があり、深刻な事故はほとんどの場合、想定外のことが起きたときに始まります。私たちは常に、見落としていることは無いか、欠けていることは無いか、考えに甘いところは無いかを追求し続ける必要があります。このとき、判断に向けた私たちの思考をパターン化させてしまうことが大きな障害となります。規制委員会、規制庁としての経験が積み重なりつつあるなかで、審査も検査もその他の業務も、効率化の名の下に、徒にパターン化が進んでしまうことを恐れています。これまでの審査や同種の審査でこうだったからここでもこうだとは考えないで欲しい。決められたことを決められた通りに進めるのではなく、必要と思えば、原点に戻って考えることを厭わないで欲しいと思います。今までこれでよしとしてきたので今更言い出せないとは決して考えないで欲しい。過ちを改めること、足らざるを補うことを決して憚ってはならないというのは、事故の重要な教訓の一つであると考えています。」と述べられています。
※1 更田委員長職員訓示(東京電力・福島第一原子力発電所の事故から8年にあたって) | 原子力規制委員会 (nsr.go.jp)
※2 更田委員長職員訓示(東京電力・福島第一原子力発電所の事故から7年にあたって) | 原子力規制委員会 (nsr.go.jp)
2021/03/23 ( 文責 : 丸山ひろき )