「寿命」ということ 

 寿命とは生まれてから死ぬまでの時間のこと。そして、「人の寿命は生まれたときにすでに決まっている」という人がいます。
 私は仕事中の死亡事故に係わる中で何度か、生まれたときに決まっているという意味での「寿命」という言葉に触れてきました。
死亡事故 夕方帰宅することを当然のこととして仕事に出かけて行った家族が、働き盛りの、あるいは社会に出て間もない若者が、「ただいま」と言って帰ってこない、死亡事故。
 事故発生から時が過ぎ、被災者の上司等が、とりあえずの落ち着きを取り戻した時、「彼は注意深い人だったのに…。なぜ、あの時、…。こんなことになるなんて不思議でしょうがない。「寿命」だったのかと…。」とつぶやきます。
 一方、大切な人を失った家族、友人等々は失った辛さから立ち直るために「寿命」という言葉を、悔しさとともに絞り出しながら苦悶します。「寿命」という概念であきらめるために。
 私は、いつの頃から「労働災害には必ず原因となる危険があって、それも事前に検証すればわかるはずの危険であって、強い意志があれば防げない災害はない。」と考えるようになりました。
 せめて、発生した災害について、その原因を追究し、同種災害の再発防止に生かしていかなければ社会の進歩はないわけですが、なぜ、事前に手が打てなかったか、「失わずに済む命」をなぜ救えなかったか、という後悔は常に付きまといました。
 そして、ある時、気づいたのです。
 失わずに済んだはずの命を守ることができなかった関係者(当然に私も含まれます)は、亡くなった方に関して「寿命」という言葉を使ってはならないのです。使うことを許されない言葉なのです。「寿命」という言葉で終わりにしてはならないのです。原因をうやむやにしてはならないのです。
 亡くなった方の親、パートナー、兄弟姉妹、恋人、子、友人など苦しみのどん底にいる人々が、苦しみながらもあきらめのために使う言葉です。 天寿 なすすべのない人が苦しみから逃れるために已む無く使う言葉です。
 本当は「人の寿命は生まれたときにすでに決まっている」などということは無いのです。
 私たちは、危険に敏感になり、危険を回避するために、お互いに力を寄せ合い、みなが「天寿」を全うしなければならないのです。
(ちなみに、天寿とは250歳という人があります。これは、さすがに私は無理です。)

2021/11/22  (  文責 : 丸山ひろき )