各種の記事等から「安全」を再考
1 大津波記念碑について(Web上の記事)
岩手県宮古市重茂姉吉地区の大津波記念碑は昭和8年の昭和三陸地震による津波の後で、岩手県宮古市重茂姉吉漁港から、急坂を800m程上がった海抜約60mの山腹に建てられた石碑です。
石碑は「明治29年の津波で、村の生存者はわずか2人、昭和8年の津波では、4人だけだった」と悲惨な状況を伝え、「大津波の悲劇を記憶し、何年たっても用心せよ」と戒め「津波は、ここまで来る。ここから下には、家を作ってはならない」と警告しています。そして、平成23年3月11日に発生した東日本大震災の大津波は、この石碑の約50m手前にまで迫りましたが、その警告どおり上にあった集落には至らず、建物被害はありませんでした。
2 2021.3.9 日本海新聞記事からの抜粋
2011年3月の福島第一原発事故について、アメリカ原子力規制委員会は事故当初からメルトダウンやメルトスルーが起きていると分析し、日本政府にもこの評価を伝えていた。一方、当時の原子力安全・保安院は事故の翌日午後にメルトダウンを認めたが、その日の夜には「メルトダウンが進行しているとは考えていない」とコメントした。
全電源喪失を巡っては事故前から海外に膨大な研究成果があった。1980年代初頭には冷却機能を失った原子炉がどのような状態に陥るか時系列で解析している。
アメリカは「起こりうる事故を想定してその対処等を事前に検討して」おり、日本は「原子力発電所での過酷事故は起こりえない」との立場だった。
そしてこの記事は、「福島の教訓」は「原子力事故は起こりうる、ということを受け入れること。」とまとめられています。
3 2021.3.11 原子力規制委員会 更田委員長の職員向け訓示からの抜粋
………いわゆる新規制基準は………多重かつ多様なシビアアクシデント対策、大規模損壊対策など、既設炉に対する規制要求としては確かに世界的に例のないものになっています。………もとより、継続的な改善を怠ることがあってはならず、“世界で最も厳しい水準の基準をクリア”という台詞が、基準をクリアすれば大丈夫なんだという姿勢を生まないように、新たな安全神話とならないように、私たちは十分に注意をする必要があります。
………ガイドの整備、マニュアルの整備を進めています、今。これによって規制の内容がどんどん規範化されていくことに強い懸念を持っています。………規範化は、規制側、被規制側の負担を小さくする一方で、欠けをみつけること、想定外に備えることにとって害となる側面があることは意識されてしかるべきです。………シビアアクシデントは常に想定の外で起こるでしょう。想定の範囲を超えるからこそ大きな事故に至ってしまう。安全を求める戦いは想定外を減らす戦いであって、その戦いには、常に新たに考えることが不可欠です。既に他の人が考えたことのなかに答えを見つけようとする姿勢では、シビアアクシデントを防ぐことは出来ません。
………初心を忘れてはならないということと、継続的な改善が不可欠だということをしばしば口にしてきました。一方は、決して変えてはならないことについてであり、もう一方は変え続けていかなければならないということです。どちらも安全神話の復活を許さないためには重要なことです。
4 2021.3.29 日本海新聞の記事からの抜粋
寺田寅彦の警告という記事で、明治から昭和を生きた物理学者で随筆家「寺田寅彦」の次の(1)から(3)の文章を抜書きしました。
(1)悪い年回りはむしろいつかは回ってくるのが自然の鉄則であると覚悟を定めて、良い年回りの間に十分の用意をしておかなければならないということは、実に明白すぎるほど明白なことであるが、またこれほど万人がきれいに忘れがちなこともまれである
(2)我が国の地震学者や気象学者は従来かかる国難を予想してしばしば当局と国民に警告を与えたはずであるが、当局は目前の政務に追われ、国民は、そうした忠告に耳を貸すいとまがなかった
(3)根拠の無い事を肯定するのが迷信ならば、否定すべき反証が明らかでない命題を否定するのは、少なくとも軽率とはいわれよう
そして、これらの文の引用に続いて、原発事故究明での政府の事故調査・検証委員会の委員長を務めた畑村洋太郎氏の言葉が記載されています。「新型コロナで人々は100年前のスペイン風邪と同じような深刻な事態となることを学んだけれど、人々が生活習慣を変えるのは簡単ではないということも分かってきた。原発の安全神話と同様に、起こり得る最悪の事態に目を向けようとしない考え方をやめるなど、日々の行動を根本的に変えない限り、コロナ禍も克服できない」
5 そして、私の「安全」再考
過去に重大な被害を受けた人々が、二度と同じ被害を生じさせないために津波記念碑が設置されました。その結果、被害を免れた方々があります。一方で、それらの警告があるにもかかわらず沿岸へ生活の場を求めた多くの方々があります。この度の東日本大震災でも記念碑設置などで同様の動きがあります。一人ひとりにそれぞれの事情があるので、他者があれこれ言うことは不適切です。しかし、大切なのは、記念碑より高い場所に住んでいる方々も、そうでない方々も、津波への対処を常に考えることです。「こんな大津波は頻繁に発生するものではない」かもしれませんが、明日、大津波が発生しないということではありません。また、「記念碑より高い場所まで津波が押し寄せることはない」という考え方に対しても、過去の津波が最大である理由はどこにもありません。
原子力発電所はひとたび誤ると取り返しのつかない結果を生ずる恐れがある設備です。そのため、日本では高度な知見を持つ専門家が十分な安全対策を講じて設置、運用されているので、決定的な事故が起こる余地はほとんどない。また、科学者が予想した大津波の情報があるにもかかわらず、可能性が極めて低いという理由で対策が講じられなかった。その結果、福島第一原発の事故が発生しました。リスクに正しく向き合わなかった。リスクの評価を誤った結果だと思います。リスクを正しく捉えていれば、その対策のための情報はあったし、活用できたのです。40年も前から起こりうる事態と捉えられていたのです。
現在、原発の事故防止対策のため、日本では世界最高水準の安全基準が設けられたといわれ、その基準で審査を行っている機関のトップが職員向けの訓示で述べています。「マニュアルに従った審査では、また、他人の考えたことの中に答えを見つけようとする姿勢では想定外の事故を防ぐことはできない」と。
わたしたちは「関係法令を守っているから事故は起こらない」と安全対策の必要な対象を把握することや考えることを怠っていないでしょうか。「過去の事故については、再発防止対策を講じているから、同様の作業は決められたとおりにやれば安心だ」、「これまで、安全対策に取り組んだ歴史と実績があるから、今後も決められたルールを守ってやっていけばよい」などの意識が広まっていないでしょうか。
状況は日々変化しています。過去の教訓がそのまま通用するとは限りません。「安全」の確証がないのに「安全だ」と思うのは「迷信」です。「危険」との指摘に対して「危険ではない」と明確に説明できないのに、今まで「大丈夫」だったからとその指摘を否定するのは「軽率」です。
「事故は起こりうる」ものと常に意識して、危険に敏感になって、先手を打ってどうすればよいか考え続けることです。「リスクゼロ」はあり得ないのです。必ず存在するリスクに向き合い、正しく評価し、正しく対応することに尽きるのです。
わたしたちの職場に、根拠がないのに大丈夫と信じている、いわゆる「安全神話」がはびこっていないでしょうか。
2022/07/25 ( 文責 : 丸山ひろき )